対象aとしてのサブヒロイン


サブヒロインというのはシナリオがないから輝くのである。シナリオが無いからサブヒロインなのであって、そもシナリオがあったら彼女はサブヒロインとしての存在を維持できなくなりサブヒロインとしての彼女は消失せざるを得なくなるのですが、それはともかく。サブヒロイン。当たり前ですが、彼女の個別シナリオがあったら、「そのお話が彼女の正史」になる。たとえ三角関係の一角や淡い失恋の痕跡のようなものをどっかのシナリオで混入されても、個別シナリオがあるならソレは無意味・無駄になるのです。
翻り、個別シナリオがなければ、誰か他キャラのシナリオにおける彼女の失恋も、それは、彼女の正史のひとつとなる。あるいは「仮の」正史となる。『ましろ色シンフォニー』の紗凪とかそうです。もしも彼女のシナリオがあったら、彼女の「本当」はそっちになっていて、みう先輩ルートの失恋とかただのシミュラークル遊びに成り下がり輝きは失墜していたのは火を見るよりも明らかでしょう。
分かりやすい例として『CLANNAD』の藤林椋シナリオがあります。もしも椋シナリオがなかったら、(杏シナリオによって)椋は沙凪的なポジションを得ていたでしょう、しかし、椋シナリオがあるのだから、杏シナリオにおける椋の失恋も何もが添え物・鞘当にしかならなかった。なぜなら「椋の本当・リアル」は他にあるから(=彼女のシナリオがあるから)。杏シナリオの椋は彼女のリアルではないわけです。彼女の「正史」ではない。これは他のキャラでも同じでしょう、杏ルートにおけることみは「ことみにとってのリアル」ではないし、風子ルートにおける智代が「智代にとってのリアル」なわけでもない。みんなそれぞれ、自分のシナリオが「自分にとってのリアル」として存在している(そしてそれが、同時的に、等価で並列しているのです)。個別ルートがあると、個別ルート以外はシミュラクル遊びに成り下がっちゃうわけなのです(ただ勿論、トゥルールートやグランドルートがある場合は除くのですが)。

ここでは、「誰か他キャラのシナリオにおける彼女の失恋も、それは、彼女の正史のひとつとなる」と記しましたが、それが正史のひとつではなくマジ正史に見えてしまうところが面白いでしょう。個別シナリオというものを正史判断の基準に据えて見れば、たとえば『ましろ色シンフォニー』の紗凪というのは、彼女のシナリオは無いわけですから、愛理シナリオにおける彼女も、桜乃シナリオにおける彼女も、アンジェシナリオにおける彼女も、みうシナリオにおける彼女も、全部同質で同等で等価である筈なんです。なのに唯一紗凪が失恋することとなったみうシナリオにおける紗凪が、紗凪のリアルのように”見えてしまう”。――あのシナリオが、最も紗凪に近づき、最も紗凪を語っていただけに、最も彼女のリアルのように見えてしまう。彼女の人生でいちばんあり得そうな話――正しくは、彼女の人生で主人公を絡めた場合いちばんあり得そうな話――としての「彼女のリアル」。
そう、ここでは転倒が起きています。別に主人公といい感じにならなくても彼女のリアルだろうに、だが、僕たちは「そこにこそ」可能性を視てしまう。「見る」という我われの主体を必須とする行為なのだから、そうなるのは当たり前ではあるのですが、しかし、ここでは「彼女たち自身」という主体は喪失されている。つまり、彼女たちが主人公との恋愛とかマジどうでもいいよとか思っていても関係ない。いや、むしろ、”関係できない”。そういった転倒がある。たとえば我われは『明日の君と逢うために』をプレイすれば、七海が唯一(ちゃんと)失恋する先輩シナリオにこそ七海の正史としての可能性を幻視してしまうし、『真剣で私に恋しなさい!』では、心と一番いい感じになる(選択次第ではその後も示唆される)まゆっちシナリオにおいてこそ彼女の正史としての可能性を幻視してしまう。その幻視は彼女たちとはまったく関係なく行なわれる。私たちが「描かれきれなかった」ところから、つまり失恋から、もし失恋しなかった可能性の線を辿り勝手に見ている幻想である。それはシナリオがあれば昇華される。理屈は簡単で、個別シナリオがあるヒロインはほとんど100%の確率で恋愛は成就するのに、個別シナリオのないヒロインはほとんど100%の確率で(最終的には)恋愛は成就しない。つまり僕たちは知っているのです、彼女たちの恋が上手くいかなかった理由の本質的なところは、性格の不一致やタイミングや巡り合わせなどではなく、単純に彼女たちがサブヒロインだったからだってことを。サブヒロインの恋は報われないように出来ている*1――だって報われてしまったら物語が出来てしまってそれがルートになって、それでは彼女はサブヒロインじゃなくなってしまうでしょう?
そこに見る幻想が、僕らに彼女たちのシナリオを要求させる。残念ながらサブヒロインは失恋の運命に支配されている。残念ながらサブヒロインは自由ではない。サブ”ヒロイン”という言葉の通り、彼女たちは”ヒロイン”であるという呪縛から解き放たれない。失恋しようが、特に話に絡まなかろうが、彼女たちの人生はそれはそれでちゃんとした、価値ある、”本物の”筈ではあるけれど、そうはプレイヤーが許さない。我われはこの瞬間だけ独善的なエミヤシロウとなり、「もっと幸せになれるのに、そうなれないことは許せない」と叫ぶ。”もっとの幸せ”――それは本当の人生でも彼女のリアルでもないかもしれない、けれども。それを本物にしようというのが、僕たちがサブヒロインに抱く幻想なのだ。

*1:当て馬的に上手く行くことはあっても、最終的には(あるいは、上手くいった場合は主人公におけるBAD ENDだったりする)。