リアル妹がいる大泉くんのばあい(2010、Alcotハニカム)

リアル妹がいる大泉くんのばあいリアル妹がいる大泉くんのばあい
(2010/05/28)
Windows

ライター:おるごぅる プレイ時間:9時間くらい 容量:1GBくらい 評点:55くらい

これはリアル妹が居る人にとっては耐え難いものでもありました。勿論行き着くところは逆なのですが、しかし酷く酷く酷い歪みではあった。この「遅さ」と、致命的な「順序の逆」は、ひるがえり、彼らがかつて兄妹でなかったことを意味している。
まず「遅さ」。EDで『生まれてきてありがとう』とか、”致命的に”遅いのです。妹居るひとなら分かりますよね、そんなものはみんな「最初から」抱いています*1。えーと、ようするに、”そんなことにEDでようやく辿り着くとか遅すぎるよ!”という話です。なにせそれまで(EDまで)は、そんな気持ちを抱いていなかったor気づいていなかったというわけですから*2。兄妹的には「今さらかい!」と唖然とせざるを得ない。

あと何か妹のためにするときに「兄貴だからな、妹のために頑張るんだ」的なことが散々語られますが、そんなものは実際の兄妹には「無い」*3。順序が逆としては在るけれど。実際は、「妹のために」なんてのは自明のものであり、「兄だから」なんてのは後付でしかないのです。その子のために何かする、頑張るなんてのは、当たり前のものであって、いちいち「兄だから」なんて考えたりしない。その理由を考えたときにはじめて「兄だから」という可能性が浮かび上がるのであり、それはあくまで後付であるべきなんですよ。これは兄妹に限った話でもありません。早い話、こう問えばいい――「じゃあお前は兄だからその子の為になろうと思うのか?」「お前が兄じゃなかったらその子のためにソレを為さないのか?」
兄妹という関係性があってソレが生まれるのではなく、ソレは自明のものとしてあり、その理由を考えたときにはじめて兄妹という関係性が生まれる。そういうものなのです、リアル兄妹というのは。関係性があって生まれるものではない、生まれた結果を考えてみたら関係性に回収されるというもの。――そう、だから、ラストになってはじめて「生まれてきてありがとう」とか決定的に「遅い」し、「兄貴だから頑張る(=兄じゃなかったら頑張らないのだ!)」なんて致命的に順序が逆なのです、リアル妹としては。

だからそういうことなんでしょう。逆転させると。彼らは、「兄と妹」ではなかった。誰もが当たり前に持ってるものに最終局面でようやく辿り着くとか(兄妹として)ありえねーのですが、故に、彼らは「普通の」兄妹ではなく――そして実際にそうではなかった。責任感や負担という負債や、恋慕に囚われていたのだから。それは普通の兄妹ではない。それは「兄妹」ではない。

そして、俺たちはようやく気づいたんだ。 自分たちがしていたことの過ち。 それが兄妹でするのは許されない、『いけないこと』だったということに。

俺は臆病だった。 子供ながらに感じていた『いけないこと』、ただそこから目を逸らして遠ざかるだけだった。

ここに来てボクはようやくまともなことを喋りますが、そういうものを引きづった上で「兄妹」であり続けようとしたのだから、それは当然、普通の兄妹ではないでしょう。兄妹とずれる。兄妹を虚飾しているだけである。 普通の兄妹には、それは存在しません。
『俺たちの恋は、はじまることなく終わっていた。』 と云うけれど、普通の兄妹というのは、はじまることなく終わる恋すら存在していないのです。はじまることなく終わるという「形式」でもそれが「存在している」という時点で充分に歪で、それはやはり「兄妹」ではない。はじまることがなく終わるという(目に見えず触れられない)形で存在していた、責任感や負担という負債や、恋慕を握り締めたままでは「兄妹」ではない――「リアル妹(まさに字義通りの!)」ではないからこそ、ここまで遅く、順序が逆であった。

だからこれは、「リアル妹」となる物語―――最後の最後にしてようやくゲームタイトルの意味が満たされる作品/物語でもあった。最後にして「ようやく」リアル妹になったのです。恋慕だの罪悪感だの責任感だのといった、彼と彼女を「リアル兄妹」にさせてくれなかったものを、最後の最後に乗り越えた。だからこそ、それ以前には存在していないにも関わらず、「そのあとに」生まれてきてくれてありがとう、が来るのは道理でしょう。
「遅い」も何も、彼らはリアル兄妹じゃなかったんだから、遅くて当然です。間にたわる様々なものを解消して――昇華して、彼らはようやく(恋人でもある)リアル兄妹になった。それがリア泉くんです。

補遺。 『栞「お兄ちゃんなんていらないよね」(最序盤のセリフ)』 ――これがそのまま、彼らが「リアル兄妹ではなかった」ことを示し表している。いや栞の態度とかもそうなんだけど。そこからリアル兄妹になっていくという話である。(栞に対峙する)自分のことを「兄」とか「お兄ちゃん」だとか平気で言うように――自分は”そういうものなんだ”と自分自身で決め付けるように――そのような立場・そのような視座・そのような観点でもって、涼くんは栞に対して存在していて、それは当然ながら反射規定的な指向(私は○○なのだから、○○らしくなくてはならない)を彼に強いていて、その原因がかつての出来事と家庭にあって、それを乗り越えることで、その頸木からも逃れられることになる。
『それが兄妹するのは許されない、『いけないこと』だったということに。』 それから少し距離を置くようになってしまった=兄妹として決定的にズレてしまったのだけれど、その『いけないこと』という(言わば)原罪に向き合って乗り越えることにより、……原罪というより象徴的去勢といったほうがいいですしょうか。あのときに象徴的秩序が、兄妹としても恋人(恋愛)としても(去勢されたことにより)歪んだ形で構成されたが故に、決定的にズレてしまったのだけれど、
『子供ながらに感じた『いけないこと』、ただそこから目を逸らして遠ざかるだけだった。』   それを越える――  『「見つかったら、今度はふたりで叱られよう」「ふたりで叱られて、そしてはっきり言おう」「俺は栞のことが」「私はお兄ちゃんのことが……」』
つまり、かつての失敗、かつての去勢を乗り越えるということです。
そしてその方法は、「ふたりで叱られる」ように、自分が権力を持って認められようというものではなく、相手が権力を持ったままでも生きていこうという形でした。彼ら自身が権能を手に入れよう、というのではなく、「権能に負けない彼らでいよう、今度こそは」という話です。ファルスを得るのではない、ファルスに負けないのだ。今度こそは、あの時の失敗、それと同じものに当っても、乗り越えられる―――
『俺たちは何に背くこともなく、真っ直ぐに前を向いて歩きだす決意をした。』

*1:そうじゃない奴をボクは兄妹とは認めない。

*2:まあ『生まれてきてありがとう』自体は曲の歌詞であり、大泉くんの思うところと一致しているかどうか分からないけど、しかし内容的には概ね同じようなこと想ってると想定は出来るでしょう。

*3:そうじゃない奴をボクは兄妹とは(ry