恋する妹はせつなくてお兄ちゃんの匂いが臭いことに気づかないの

エロゲ界隈では「妹が洗濯前のお兄ちゃんの服をこっそり手に入れて、その匂いでオナニーしてしまう」というシチュエーションがよく出てきます。
■エロゲの「お兄ちゃんの匂いで欲情してしまう妹」について科学的に考えてみた
http://d.hatena.ne.jp/efemeral/20100616/1276697682

あー、あるあるそういうシチュ! と思ったけどよく考えたら、匂いをかいで興奮くらいならしょっちゅうありますけど、オナニーまでするのってそこまで多くないような気がする……や、抜きゲー方面は全然やらないんで、そっちでは日常的出来事なのかもしれませんが。まあエロゲにおいては、興奮するのとオナニーするの間に差なんてあってないようなものなので(実際、エロゲではヒロインのオナニーなんて興奮や生々しさの”表象”でしかない)あまり変わりませんが。


しかしこの結論部には少し反論しなければならないでしょう。

兄弟姉妹は似たような遺伝子の組み合わせになり、また同時に似たような体臭になります。そして女性に父親や兄弟の体臭を嗅がせる実験をすると、驚くほど強い拒否反応を示したとの事です。

であるからこそ、

どうやら科学的には「お兄ちゃん臭い、近づかないで」が正しい妹の反応であり(中略)
よって、「お兄ちゃんの匂いで欲情してしまう妹」とは、
・血が繋がっていない
・男性の匂いを嗅ぎ分ける機能に異常がある
のどちらかである。という事になります。

という結論なのでしょうが、しかしそれは科学至上主義的すぎるのではないでしょうか。というかむしろ、だからこそ凄いシチュなのではないでしょうか。 妹にとっておにいちゃんの匂いは臭いとか、拒否反応を起こすといっても、それは生死に関わる絶対克服不可能なものではないでしょう*1。科学的に「嫌い」「苦手」と判定されただけであり、たとえば納豆のにおいが嫌だとか、高い所が怖いとかと同じく、克服可能な障壁じゃないでしょうか。
よーするにですよ、この妹さんが現実に本来お兄ちゃんにかぐ匂いは、科学的には、臭い匂いの筈なんです。なのに臭くない。あるいは、臭さに関わらず興奮してしまう。「お兄ちゃんの匂い……はぅ〜」となってしまう。これは要するに、単純に、そんだけ好きだっていう話ではないでしょうか。本来なら○○の筈なのに、それを覆し××にしてしまうほど好きだ。恋は盲目、あばたもエクボというように、好きだからこそ幻想のカーテンがそこに作用する。そこに在るもの「以上のモノ」「以外のモノ」を見せてくれる幻想。精神分析だったらアガルマとか言うべきものでしょう。たとえば、「百年の恋も一気にさめる」という言葉がありますが、これは逆に、"それまでの恋が如何に幻想に支えられてきたか"ということの証左でもあるでしょう。本当はこんな簡単に醒める、醒めてしまうような恋なのに(恋とはそういうものなのに)、しかし「さめる要因」足る現実を隠し、「百年の恋」を構築するような幻想がそこにはある。
――つまりこれも同じです。本来は臭いけれど、それを覆い隠すほどの幻想が生まれている。それは、つまり、それだけ好きだってことではないでしょうか。

結論

ということで、この科学的見地を付け加えることにより、我われはむしろより興奮できる手段を手に入れたのではないでしょうか。臭いはずのお兄ちゃんの匂いに興奮する妹は、義妹だから科学的見地からの嫌悪感を感じない=臭くないのではなく、鼻が詰まってるから匂いが嗅げないのでもない、臭さを百年の恋のような幻想で塗りつぶしてしまえるほどにお兄ちゃんが好きだから、通常なら臭い匂いも(恋は盲目ならぬ盲嗅的に)臭くない。あるいは、オナニーできる心地よい臭さに幻想が還元してくれているのかもしれません。
―――恋は科学にもDNAにも負けるわけがないのでして、だからこそ、恋の勝利の実現が見れるこういうシチュにこそ、我われはより驚きと興奮を得られるのではないでしょうか。

*1:また近親相姦の禁止というのが、絶対道徳に備わる超越的な禁止項や人間本来に備わる超越論的な禁止項ではなく、如何に文化・社会により規定されてきたことであるかという面にも疑義を差し込める余地はあるでしょう。