漆黒のシャルノス

漆黒のシャルノス -What a beautiful tomorrow-漆黒のシャルノス -What a beautiful tomorrow-
(2008/11/21)

ちょっとベタすぎることを書きます。


ゲームをプレイしている最中においては「時間」というものはある意味存在しない。もちろん存在していますけど、しかしゲームはゲームとして、僕たちが実際に生きる時間からはある種切り離されている。たとえばそのことを『ONE』は「えいえん」と呼びましたが、ゲームの中身は永遠に不変で、いつまでも何回でも繰り返し反芻することが出来る。言うなればそこに明日は来ない。幾ら僕らがゲームをクリアしようと、繰り返そうと、そこに僕らの明日は無い。僕たちにとっての/とっては、永遠の今日があるだけ――当たり前のことですが。


メアリが主人公という時点で、とにかくもう最高なゲームだったわけです。諦めないし頑張るし走り続けるし、それでいて相応に弱いし、友達のことをあんな風に思って心配して、友達にあんな風に思われて心配される―――わーい、僕らプレイヤーはこのステキな女の子になるんだ!
という時点で最高のゲームだったのですが、実際プレイヤーはメアリになりきれなかった。たとえば、やっていくうちに苦行に変わっていくような、あのゲームパートを諦めて投げ出してしまうか、それともちゃんと自力で頑張るか否かの態度が、メアリが諦めるか否かとは本質的には全く関わりないように(メアリは決して諦めないのだ)。もともとが違う。そしてその異なりは、最後により強まる――最後に分離されたと言えるのではないでしょうか。メアリは、明日への恐怖に怯まず、明日という恐怖を否定せず、それでも(みんなで)明日へ向かうことを選ぶ――そこで物語は終わることになる。僕たちはその「明日」を見ることも知ることもできない――つまりここで切り離されている。僕たちはメアリたちの「明日」には辿り着けない。僕らが辿り着く「明日」があるとしたらもちろん、ボクら自身の現実の「明日」でしかない。
ゲームをプレイするという行為は、その明日への歩みを一時止めて、停滞状態にあると言うこともできる。現実逃避、虚構――使い古されて飽き飽きする概念だけれど、そして現実へ帰れ的な言説はいまや聞いてるこっちが恥ずかしいレベルのお話だけど、そもそもゲームプレイもまた現実の一部であるのだけれど、しかしゲームの中身自体は現実ではない。だからこれは、『ONE』における「えいえん」と同じで、僕らにおける永遠の一形態である。そこに明日はない。そこの明日を僕らは知りえない。現実に還らなくてもいいし、また別のゲームに向かっても構わないだろうけど、けど、何にしろ必ず言えるのは、どんなゲームにも終わりはあって、その先は僕らの知らない「明日」だと言うこと。
それは多分、シャルノス(シャルノスの王)と同じなのではないだろうか。

【教授】私は実験を行ったのだよ。果たして人は、幻想たる”彼”と同じく――
【教授】無限に待ち受ける明日という日を諦め、留まることを選ぶのかどうか。

無限に待ち受ける明日への歩みを少し止めて、画面の向こうに見る別の世界のことがゲームの中と呼ばれるのであるならば。
立ち位置は似ている。メアリたちからして見ればわたしたちなど、『一人であるが故に、明日の何もかもを失った世界と王』に他ならない。彼女たちからすれば、それは届かない別世界で、たった一人で、明日がないのだから。そもそも「眼だけ」というのからしてそのように。かつて『ヤミと帽子と本の旅人』というゲームが的確すぎるほど的確に表現していましたが*1、わたしたちのゲームへの関わりはある種「眼」だけのようなものである。この永遠=ゲームの世界を、離れた場所から見つめているだけである。

──友の手を握って──
──幼い少女は微笑む──
【メアリ】シャーリィとだって仲良くなれたもの。あたし、自信があるのよ。
【メアリ】友達になれるわ。誰とでも。
──そう言って──
──微笑む少女の──
──影の中で──
──赤い瞳が──
──眩しそうに、歪んで──

喩えるならば丁度このように。


結局のところ、自分の明日は自分の元にしかない。自分たちの明日は自分たちの元にしかない。一昔前の「現実に帰れ」言説と異なるのはそういうところでしょう*2。『もしも、世界が終わってしまっても』。これは、シャルノスにとって、我われにとって、そこに至るまでのお話でもあった。彼女たちの明日は彼女たちの元に、我われの明日は我われの元にある。ただそんだけ。

*1:多少ネタバレですが、あのゲームの主人公は「眼」だけ(眼しか付いていない魔法の帽子)で、喋ることも自由自在に動くことも出来ない。その眼だけの彼が、本の世界=色んな虚構の世界の中にいる誰彼に乗り移る・憑依して、その世界の登場人物となって、物語が進められていく。これを思いっきりプレイヤーの暗喩と見て取るのはフツーだよね。

*2:たとえば、そういったメッセージ性を読み取れる「俺つば」にしても「コミュ」にしてもそうであるように。