エロゲにおけるパンチラや裸や視線などに関する一考

えっちなのはいけないと思います!”、その有名な故事に倣って、僕たちもエロゲに対して言いたいですね。無駄にえっちなのはいけないと思います
先日『FORTUNE ARTERIAL』をプレイしたのですが、ちょっと驚きの場面がありました。序盤、ヒロインが入っているお風呂に主人公が誤って入ってしまって裸を見ちゃう、という超ベタイベントがあったのですが、そこでのCGが「湯気補正」されてたのです。

たとえば地上波アニメのように、たとえば全年齢のコンシューマギャルゲーのように、おっぱいとかお尻とかしっかりとは見えないように湯気で隠すよまして乳首とかありえねーし、という補正がかかっていた! これはエロゲとしては驚きの事実です。だって――皆さんご存知のとおり「エロ」ゲですから、18禁のアダルトですから、おっぱいもお尻も乳首も露出し放題なわけです。実際、他のゲームでこういう場面があったらそれなりの確率でおっぱいお尻乳首が露出されているでしょう。むしろそれはひとつの「サービスシーン」として、エロゲの長い歴史において存在してきた筈です。ヒロインが入ってるお風呂にうっかり入っちゃうとか、脱衣所でばったりとか、あるいはもっとダイレクトに、お風呂や更衣室を覗くとか―――そういうものがサービスシーンとして、太古の昔から存在してきた(なにせ『ときメモ』にすらあったくらいだし!)。
しかし『FORTUNE ARTERIAL』は”逆に”、見せないという方策を採ってきたわけです。ちょっと裸を見せるとかちょっと下着を見せるといったようなサービスシーンを”逆に”用意しない。これは驚きなのですが、しかしある種理に適っているのではないでしょうか。

諸君は生娘だろう!諸君は着娘だろう!

たとえば、肌の露出が多いと軽そう・遊んでそうに見える――というのは男女問わずで言えることですが、逆に肌の露出が少なければ、それだけ鉄壁の・うぶの・清純のイメージを保つことが可能でもあるのではないだろうか。エロゲヒロインの大多数が処女で、しかも男と付きあったことないという子もかなり多数なのだから(現在のストーリー系・純愛系・萌え系のエロゲでは「ほとんど」全てのキャラがそうだ、と言っても過言ではない)、裸やパンツを見せてしまうことより、裸やパンツを見せないで、その処女性という幻想を高めた方が効果的な場合もあるのではないだろうか。


FORTUNE ARTERIAL』の恐ろしいところは、主人公とエッチする関係になるまでは、裸はおろかパンチラすらほぼ無い、というところです。唯一といっていいパンチラ場面がここなのですが*1

ご覧のとおりメチャクチャ分かりづらいです。よく見たらパンチラしているかも、いやこれは本当にパンチラなのか、てゆうかパンツなのかこれ、しかしパンチラといえばパンチラなのだろう、と言えるくらい、非常に地味で分かりづらいパンチラである。しかもこれには、普通にプレイしている限りだとさらに気づきづらいというおまけがあります。つまり、通常は文字が書かれているテキストウインドウがあって、さらにそのパンチラに気づきづらいということ。

もの凄く小さな面積のパンツが本人は見えてることに気づかず周りも見えることに気づかないくらい極々僅かにパンチラしているという、ある意味では非常に現実的なパンチラがここにある。

パンチラもないし裸も見せない(もちろん物語終盤、主人公とHする仲になれば(エロシーンとかで当たり前のように)見せてきますが)。そのくらい見せない『FORTUNE ARTERIAL』ですが、そのことに対する不満など全く目にしたことがない。当然でしょう、これが抜きゲーだったら非難轟々かもしれませんが、純愛系でのパンチラや裸の有無など誰も気にかけていないのだ。むしろパンツや裸を鉄壁にガードすることによって、彼女たちのそれらを「手の届かないもの」的な地位に押し上げた方が、恋愛を描くのであれば有利に働くのかもしれないのではないでしょうか。実際『FORTUNE ARTERIAL』において、裸やパンツを見せなかったことが、そうでなかったことより(物語とか恋愛で)意味があったかと問えば、あったのではないだろうか。


ホイホイ裸見せてパンツ見せてというのは、それ以外にもマイナスの効果があるかもしれません。所謂「純愛ゲー」(この言い方もアレですが、便宜的に)だったら、女の子はパンツや裸を見せてしまうより、見せない方がよりらしく・より純粋に在れるのではないだろうか? パンツや裸を見せてしまうと、彼女たちはその瞬間、我われにとってある種の「性の対象」となる。(文字通り)目に見える証拠によって、性欲が喚起される/あるいは想起される。そういう方向に持っていかれる。そもそもパンチラや裸見せシーンというのは、作り手が「そういう方向に持っていかせたく」描いているのではないかと想定できるのだから当然です。――つまり、これはサービスシーンだ、ほら裸だ、パンツだ、乳首だ、要するに、性欲の対象としての彼女たち(の部分)だ! というのを見せられているのだから、そう思うのも当然ではある。
僕らがプレイしているのが抜きゲーなら話は別ですが、しかし物語や純愛や恋愛を楽しみたいまなざしでプレイしているのなら、性の対象としての彼女を想定させられた瞬間に、物語/純愛/恋愛の純粋性は失われてしまうのではないだろうか。随分デリケートな物言いですが、性の対象としての女の子を商品化するとでも言わんばかりの経緯を辿ってきたエロゲだからこそ、そういった視線の介在性にはデリケートにならざるを得ない部分もある。
そもそもパンツや裸をダイレクトに見せなくても、僕らは常にキャラクターを視姦しているのだから(=これは、「視姦することしかできない」「視姦させられている」と同意でもある。プレイヤーに選択権は与えられていない*2)。

エロゲの視線

そろそろ我われはエロゲをプレイする際の視線について真面目に考えなくてはならない。


上の画像を見て欲しい。わたしたちがプレイするエロゲの通常時の画面形態というのは、概ねこのようになっている場合が多い。キャラクターの立ち絵があって、下の方にテキストウインドウがある。もちろん、たとえば『Fate』みたいに画面一杯に文字が出てくるゲームとか、『装甲悪鬼村正』みたいにテキストウインドウが画面の真ん中に縦方向であるゲームとか、そもそもノベルタイプじゃなくてアクションだったりRPGだったり多種多様ありますが、しかし一番多いのはこのような画面形態のゲームでしょう。
ここではわたしたちは通常*3、表示された時とか切り替わる時とかにチラッと立ち絵を見ながらも、基本的には、文章を読むために、テキストウインドウ部に表示される文章を見ています。つまりテキストウインドウを見ている。しかしよく見ると、テキストウインドウというのは丁度、彼女たちの足やお尻や股間やスカートの部分にあるのです。
つまり我われはプレイ中もっとも目にしているテキストウインドウの半透明性を通して――テキストウインドウはデフォルトである程度半透明に設定されていることが多い――、彼女たちの足やお尻や股間やスカートを、そうと意識せず見ている。半透明に隠され、おぼろげながらも見ている。つまり、我われは彼女たちの足やお尻や股間やスカートをサブリミナル的に見ている、と言えるのではないでしょうか。


さらにキャラが近づいて描かれる――いわゆるバストアップで表示されれば、

テキストウインドウも胸の位置になる。つまりバストアップの言葉どおり、我われはここでは彼女たちのバストを、テキストウインドウの半透明を通じてサブリミナル的に見ることになる。―――これは上に例で挙げた、『FA』における数少ないパンチラシーンもそうであって、あれもスペースキーを押さない限りは、半透明なテキストウインドウの向こう側にうっすらと存在のおぼろげなパンツを見るというものであった。
半透明のテキストウインドウというヴェールの奥のキャラクターの身体が、そこを見るつもりではなくて(テキストを読むつもりなのに)見てしまう(見させられる)という無意識的な運動を介して、我われにこっそり/ひっそりと浸透してきているのではないだろうか。だから本来的には、僕らは彼女らの肉体を無意識下ですら見させられているのだから、パンチラや裸などは必要ないのだろう――本当に、「サービスシーン」以上でも以下でもないのだ。

エロゲというと、たいてい、ヒロインと仲良くなって物語が進んでそれでようやくHとかになるんですけど、それはプレイ開始から数時間後〜数十時間後とだいぶ先ですから、それまでにサービスとして、あるいは見せ札としての下着や裸があった。しかし『FORTUNE ARTERIAL』のように、実際はそのようなものがなくても(ストーリー系・純愛系においては)問題がない、むしろそれが在るよりも無いほうがプラスとして奏功する場合もあるのではないでしょうか。

*1:あともうひとつ、最早間違い探しレベルの微パンチラとして http://f.hatena.ne.jp/n_nisin/20100707004226 がある。

*2:ゲーム自体をやらないといった、メタレベルの選択権ならあるけれど。

*3:オートプレイとかスキップとかは別として。もちろん人によってその通常とは全然異なる特殊なプレイ方法とかあると思いますが。